たこやき、4個目

こんにちわ、たこやきです。

平成の最後と令和の最初の荒天模様に、

天も時代を憂いているのかと思う次第です。

 

さて、今回はたこやき個人の平成振り返りです。

  1.  喪うことが多い人生でした。
  2.  騙されること、貶されること多く、
  3.  そして難病へ…

です。 

 

タイトルからしてハードですが、なるべく軽く語れるよう努力しますw

あ、各タイトルの元ネタが分かった人は私のナカーマですww

 

 1、喪うことが多い人生でした。

 

LOSTの記憶、と個人的に名付けた考えがあります。

喪ったものや、出来事、関連する人を思うと、

精神の症状にも似た激情が沸き起こってくることを

表してみました。

 

平成の時代は、個人的には別れと喪失の時代でした。

両親、親代わりの叔父叔母、祖母…

私を生かすために生きてきた人たちが、

その天寿を終え、八百万に還っていきました。

 

その悲しい喪失と別れの記憶、そして

遺してくれたもので、私は生きているのだと改めて思います。

 

そして、私自身が「喪われる」時、

後の人に「LOSTの記憶」と、

それ以上の治験と知見を遺したい、そう考えています。

 

 

2、騙されること、貶されることも多く

 

騙されること、そして謂れのない貶しを多く受けた時代でした。

 

例えば、同じ地域内にあるとある福祉施設は、

その名称に、私が集団の中で孤立しているさまを

施設の名称として用いています。

 

また、当時交際していた彼女の祖母が緊急入院し、

彼女とその家族を夜間に送迎した際、

私の運転技術に点数が付けられ(酷評とともに)たりと、

事例の枚挙にいとまがありません。

 

しかし、私が私自身の欠点を克服しかけた時、

人の反応も変わりました。

辛さに負けず、真摯に自身を顧みて

変化し、改善を重ねていくことの大切さを知りました。

 

 

3、そして難病へ…

 

元々、小さいときから自分自身に違和感を感じていました。

 

精神の病と言われても、

発達障害であると診断されても、

それだけで私自身の説明はつきない、そう感じるに値する

身体的な違和感もありました。

 

 

辿り着いたのが、難病です。

 

 

難病の過酷さよりも先に、ようやく自分が何者なのか

判明した安堵感があったのを今でも覚えています。

わからないまま過ごし、

多くの支援者から

詐病」「偽病」「そんな病気はない」と言われ続け

それでも自身の真実を知る努力を怠らなかった

 

そんな時代であったと思います。

 

 

願わくは、次の令和の時代が

私が望む人生に少しでも近づけるようにと思います。